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彼女の福音

参拾肆 ― 愛ある戦い ―

 

 ねぇちゃんはそれを恐る恐る手に取った。

「朋也……」

 複雑そうな表情でにぃちゃんを見る。

「本当に……これをつけなきゃいけないんだろうか」

「……」

 手にあるのは猫の耳を模したふさふさな三角の耳が縫い付けられているヘアバンド。いわゆる猫耳というやつで、さっきにぃちゃんと一緒に古河さんのところから借りてきたものだった。ちなみに無論尻尾もある。それらを手に、ねぇちゃんは言いづらそうに口ごもっていたが、ようやくそれを口にした。

「こう言っては何だが……その……似合わないと思うぞ」

 するとにぃちゃんは顔を真っ赤にしてそれをねぇちゃんからひったくると、切実そうに、それはそれは切実そうに言い放った。

「わかってるにゃっ!めちゃくちゃ似合わないだろうことは予想済みだにゃっ!でもルールなんだから仕方がないにゃっ!!」

 

 

 

 

 にぃちゃんねぇちゃんの家に、僕と河南子、杏さんと春原さん、そしてにぃちゃんの元先輩の芳野さんと、その義理の妹の風子ちゃんが集まったのは、とある週末の午後だった。しばらくお茶とかケーキとかを楽しんでいる間にすっかり遅くなってしまい、そんじゃみんなでわいわい楽しくご飯食べて遊ぼうということになった。というわけで、女性陣が料理を担当して男性陣が遊びを考慮する運びとなった。

 しかしまぁ野郎三人が集まって考えるゲームと言ったら、まぁいや〜んなものになるというのはお約束なわけで。結局僕らは春原さん考案のトンデモゲームをやることに賛同し、準備をしたというわけだ。

 ゲーム自体のルールは簡単なもので、いわゆる逆ババ抜きという。普通のババ抜きがババを持つことなく「アガリ」に到達するのを目的とするのに比べ、逆ババはババを最後まで手にして生き残ることを目的とする。

 ただ、このゲームには続きがある。まず、あらかじめこのゲームを始めるにあたって、各プレーヤーは箱を用意して、その中にやらなくてはならない罰ゲームを指示した紙と、それを実行するにあたって必要なものを入れておく。箱には番号が振ってあって、最初にアガった、つまり負けたプレーヤーは箱1を開けて罰ゲームを行い、次に負けたプレーヤーは箱2を、という具合に行っていくわけだ。

 で、どうでもいいわけだけど、にぃちゃんにとってねぇちゃんは世界どころかすべての次元で実在可能な現実一かわいい女性なんだそうだ。弟である僕としてはノーコメントを通したい。で、これまたどうでもいい話だけど、そんなかわいいねぇちゃんがかわいい猫になったら、かわいいのハイブリッドになるんじゃないか、と宣言した。そして自分の箱に猫耳と猫の尻尾(古河さんがどうやって手に入れたのかは詮索しないのが情だと思った)を入れ、「これをつけて猫みたいに語尾に『にゃー』をつけろ」と書いた指示を入れておいた。

 ただ、その、まぁこのゲームを発案した時、僕らにはとんでもない誤算があった。つまり、負けて罰ゲームを実行するのは女性とは限らないこと、そして場合によっては自分の罰ゲームを自分で実行しなきゃいけないことだった。いや、絶対に普通なら考え付くんだろうけどさ。そこはほら、僕ら男だし、よく考えていなかったというか……

 

 

 

 

「何が悲しくて野郎が猫にならないといけないにゃ。激萎えだにゃ」

 それは男性陣の総意だったけど、考案した本人及び実行することになった本人が言うと、尚更重みを増した。

「まったく、仕方のない奴だな」

「つーか、だったらそんな恥ずかしい格好、罰ゲームに選ばなきゃよかったじゃん」

「ま、陽平が考えたゲームですもんね。所詮こんなもんよ」

 辛辣な言葉を浴びせかける女性陣に、僕らはぐぅの音も出なかった。ちなみに風子ちゃんはいの一番でアガり(ルールを間違えたらしい)、木彫りのヒトデの詰まった箱を開けてトリップ中。何でも芳野さんはこうなることを見越して木彫りのヒトデを愛でること、と指示を書いておいたらしい。

「つーか、何でこんなルール思いついたんだにゃっ!このヘタレにゃっ!!」

「何だよっ、岡崎だってノリノリだったじゃんかよっ!それに岡崎の方がまだましだよっ」

 そう言ったのは、最初から二番目にアガった春原さん。そこに杏さんがふふーんと笑って割入った。

「でも陽平、すっごく似合ってるわよ?髪の毛金髪にしたら、尚更ね」

「ぜんぜん嬉しくないよっ、きょ……ご主人様……」

 竜頭蛇尾という形容句が似合いそうな勢いで春原さんが返す。そして自分の黒いドレスと白い前掛けを摘み、カチューシャに手をやると、悲しげに笑った。

「ねぇ岡崎、僕さ、何だか今物凄く実家の親に謝りたい気分だよ」

「……」

「やっぱさ、踏み越えちゃいけない一線があると思うんだ、人として、男として」

「……」

「こんな僕を見たら、芽衣も悲しむよね……」

「……」

「何か言えよっ!余計悲しくなるじゃんかよっ」

「うるさいにゃっ!猫みたいな話し方をするのが恥ずかしくて黙ってるんだにゃっ」

「はいはい、あんたら静かにしなさいね」

「やいてめぇ、きょ……ご主人様よぉ、あんた自分の彼氏がこんなカッコしてるのに何とも思わないのかよっ!」

「陽平が馬鹿みたいに見えるのなんていつものことだし、だいたいあんたがあたしの下僕であることに変わりはないじゃない」

「僕ってそんな役回りだったんすかっ!!」

 頭を抱える春原さん。そして涙目になって辺りを見回し、悔しげに言い放った。

「畜生、誰だよメイド服なんて入れたのっ!!」

 春原さんの罰ゲームは、メイド服を着て自分の恋人を「ご主人様」と呼ぶことだった。

「俺じゃないにゃ」

「私でもないぞ」

「僕じゃ、ないからね」

「俺も違う」

「はぁぁああああああ」

「あたしじゃないわよ。残念だけど」

「つーか、あんたが自爆ってんじゃね?」

 うおおおおっと春原さんが頭をかきむしった。

 

 

 言えない。一度だけでもいいから河南子に僕のことをご主人様と呼ばせてみたかっただなんて、口が裂けても言えない。

 

 

「っ!!」

 その時、芳野さんが硬直した。そのままどっかの庭園に飾れそうなくらいの見事な固まりようだった。

「……アガリだ」

 芳野さんが恐る恐るにぃちゃんや春原さんを見て、己の姿をそこに写し、蒼白な顔でつぶやいた。

「……マジすか」

「ご愁傷様ですにゃ」

「岡崎、気持ちはありがたいがそう言われても、その、何というか、引いてしまう」

 白い灰になって崩れさるにぃちゃんを尻目に、芳野さんは4と書かれた箱を手にした。そして固唾を飲んでいるみんなに頷いて、箱を開けた。

「中身は……何も、ない、か」

 どうやら衣装系の罰ゲームではなかったようだった。まぁ、これでスクール水着を着ろとかだったら、萎え萎えを通り越して男性陣総不能になる恐れもあった。

「よかったな、芳野さん」

「ああ、ありがとう……ん?」

 しかし芳野さんの笑顔は、指示の書かれた紙を読んだ途端に吹き飛んだ。

「で、罰ゲームは何だったの」

「そうだな、興味があるな」

 芳野さんは何も言わず、指示の紙を捨てられたトランプの山に置いた。そして僕達は芳野さんの沈黙の意味を知った。

 

 

「赤ちゃん言葉でしゃべれ」

 

 

「うわぁ……」

「これはきついな……」

「これは聞きたくないにゃ」

「つーかこれこそ誰だよ、こんな指示出したの」

「ん?あたしだけど」

 そう言って手を挙げたのは、何と、と言おうか、やっぱりと言おうか、河南子だった。

「やー、やっぱこういうのがあると俄然面白くなると思ってさ」

 あはは、と笑う河南子。何だかいろいろとひどい、という気がしてならなかった。というか、河南子の悪戯って洒落にならないものばかりなんだよなぁ、と今更ながら思い出した。

「というわけで、芳野さんだっけ、ここはまず、愛について存分に語ってもらいたいと思います。赤ちゃん言葉で」

「!!」

 芳野さんが後ずさる。さすが河南子、自分よりも年上の人に対しても情も容赦もない。そこにシビレないっ!あっこがれないぃっ!

「……」

「あれ?何にも言わないの?ねぇ芳野さん」

「……」

「というわけでここは河南子の愛の論理に関するトークショーになりました。はいはくしゅー」

「……」

「先輩とそこの猫野郎ってさ、よく永遠の愛って言うけどさ、そんなのあるのかなぁって」

「あるにゃ」

「ある。絶対に」

「こんな猫野郎になっても?」

「うっ」

 そこで明らかに動揺するねぇちゃん。

「智代っ?!俺は、猫ににゃったらもう智代の愛を受ける価値はにゃい、そういうことにゃのかっ!!」

「そ、そんなことはないぞ朋也っ!私はヒグマだろうがパンダだろうがツキノワだろうがホッキョクだろうが大好きだっ」

 ねぇちゃん、それ猫じゃないし。にぃちゃん、カフカじゃないんだからある日突然クマにはならないし。

「つーわけで、コイツがある日突然動物になったら愛はなくなっちゃうんだなぁって」

「いや、それは違うっ」

 そこで耐えきれなくなって芳野さんが声を荒げた。

「俺は岡崎と智代さんの仲は良く知っているっ!二人の絆は、例え何があろうとも断たれることはないっ!二人の間には、神々すらも羨む永遠の愛があるっ!!」

「じゃ、今のをもう一度赤ちゃん言葉でプレイバック」

 してやったり、という顔で河南子が言うと、芳野さんの顔に簾がどよよ〜んとかかった。

「俺は岡崎と智代さんの仲はよく知ってまちゅ……二人の絆は、例え何があろうとも断たれることはないでちゅ……うぉぉおおおおおおっ!!」

 あ、芳野さんが壊れた。

「ん?あらぁ、鷹文君、そんな悠長に他人のこと心配してていいのかなぁ?」

 杏さんがにやりと笑ったので、僕はぞわりと背中の毛が総立ちになるのを感じた。

「……もらったわっ」

 ぱっと閃く杏さんの指。そして二枚残っていた僕のカードが一枚に減る。

「……くっ」

 しかし杏さんもダメージを受けたようで、一時は五枚だったカードが三枚に減った。ここで僕が河南子から合わせじゃないカードをゲットすれば、僕にだって勝算はある。

「……そこっ」

 さっとカードを取る。そして僕は

「……」

 終わりを知ったのだった。

「……鷹文」

 ねぇちゃんが憐れみのこもった目で僕を見た。にぃちゃんが肩に手を置いてぽんぽんと叩いた。何だかもろにお通夜な雰囲気だった。

「えーっと5は……あ、あたしだ」

 杏さんの笑みが、何故か黒く見えた。やばい。すごくやばい予感がする。立ちすくんでいると、件の箱が僕の前に置かれた。

 ごくり、と生唾を飲み込んで、僕は箱を開けた。そして目が点に変わった。

「……はい?」

「えっへっへ〜」

 固まった僕の肩越しに河南子が僕の罰ゲームの指示書を見て、杏さんに向かって笑いかけた。

「さすが杏ちゃん、わかってますね〜」

「いや〜、ここまで生き残ってくれちゃった鷹文君には、それ相応の罰ゲームがなきゃね〜と思ったからね」

「よかったね、鷹文」

「ぜんっぜん嬉しくなんかないよっ!……と馬鹿が触れ回っておりますが無視してください」

 はい、来ましたよ。悪名高い語尾作戦。というか、杏さん、河南子と手を組むのは勘弁してください。

 

 

 

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